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高知県立歴史民族資料館 開館15周年特別企画展 伊能大図

高知県立歴史民族資料館 開館15周年特別企画展
伊能大図 フロアー展inくろしおアリーナ
日本全図版 よみがえる200年前の日本
伊能図 期間:平成19年3月1日、2日、3日、4日
伊能忠敬とその測量隊があしかけ17年、10次におよぶ測量期間をかけた資料により作成された【伊能図】、その中で214枚からなる大図(60m×30m)が高知に4日間限定でやってきました!
200年前の日本の姿をそのままとどめた歴史的価値の高い資料です。期間中訪れた人々はくろしおアリーナの床面いっぱいに敷きつめられた大図(複製)の上を歩いて、200年前の日本の姿に触れられていました。その他にも測量をもとに仕事をする様々な機関が資料展示をしていました!

今回、くろしおアリーナで4日間限定で行われた伊能大図は12000人を動員したそうです!

伊能忠敬が遺した近代地図への功績と測量や地図がどのように私たちの暮らしの中に関わっているのかを様々な機関の資料をもとに理解を深める事ができました。
企画

今回の企画展では色々な企画がありました!

 体験コーナー
●伊能忠敬に挑戦「はかって見よう!」歩測体験
●測量機器にふれてみよう
●展示解説トーク
 講演会
演題/「伊能忠敬と伊能図」  講師/星埜由尚氏
機関の資料

伊能図拡大図
上の地図にある赤い線が伊能忠敬が測量で通った所です。☆マークはそこに宿泊し星の観測を行った所を記しています。
測量資料
伊能忠敬と伊能大図
伊能忠敬(いのう・ただたか 1745~1818年)は地元佐原では、尊敬と親しみを込めて『いのう・ちょうけい』とよばれ、佐原小学校の校歌の中でも『ちょうけい』と歌われているそうです。
今から200年前の江戸時代後期の測量家で、50歳をすぎてから、日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた人物です。
延享2年(1745年)上総国(現在の千葉県山武郡九十九里町小関)の名主をつとめる小関家の次男として生まれました。幼名を三治朗といいます。6歳の時に母を亡くし逆境に成人したが、17歳のときに才能を認められ、佐原の、名門伊能家の婿養子となり、造酒業・米穀の取引などを手がけ、名主として困窮する村民を救うなど公益に尽力しました。
寛政6年(1794年)49歳で隠居後、50歳の時に、江戸に出て、幕府天文方(ばくふてんもんがた)高橋至時(たかはしよしとき)に師事し、暦学(れきがく)・天文学を修めます。
寛政12年(1800年)幕府の命を受けて蝦夷南部を測量、これが手はじめとなり、北は北海道宗谷、南は九州屋久島、東は国後島、西は九州五島に至る日本全国の測量を10次17年間にわたってなしとげました。測量距離にして約39000kmは、地球一周分にも匹敵します。
そして、忠敬の没後文政4年(1821年)に弟子や幕府天文方の手で、その測量成果が「大日本沿海輿地全図」として完成されました。

伊能大図展では大図の他にも小図や伊能図の解説を書いている解説高札、余色立体図、視聴覚コーナーがありました。写真 右が伊能図の小図。下が余色立体図です。
小図
余色立体図

距離を測る道具『量程車』 地図だけではなく当時使っていた道具も
多数展示していました。

左の写真は距離を測る道具『量程車』

車輪を回転させて回転数で距離を測る道具で忠敬考案のものです。実際は路面状況が悪く誤差が多いことから、途中から歩測に切り換えられたそうです。
忠敬の測量事業は、当初は個人事業として始められましたが、途中で将軍・徳川家斉(いえなり)の上覧をうけるなど幕府に認められ、結果的には約80%が幕府事業として遂行されました。このように、忠敬は近代的な日本地図作成の先駆者といえます。
忠敬が作成した日本地図は、二つの特徴が挙げられます。一つは、日本全国を丹念に実測した結果に基づき作製されており、地図が大変正確であることです。もう一つは、絵画としての美しさにあります。現在の地図とは異なり、美術品としても十分な価値を持っています。 総称して「伊能図」と言われ、大きく分類すると「大図」(1/36,000:214面)、「中図」(1/216,000:8面)、「小図」(1/432,000:3面)とその他の図になります。このうち、大図は実測図で、これを縮小して中図、小図が作られました。
大図作成のための測量は、方位と距離を野帳に記録しながら沿岸や街道を進行する方法で行われました。また、最終の大図1面の大きさはほぼ畳1枚ほどであり、日本列島を214面でカバーする膨大なものでした。しかし、幕府提出図は、明治6年(1873年)の皇居炎上を際に焼失し、東京帝国大学に保管されていた伊能家控図についても、大正12年(1923年)の関東大震災で焼失してしまったそうです。
現存する大図は、大名家にあった部分的な写図と明治初期に模写された写図等、60数面が確認されているに過ぎませんでしたが、去る2001年3月、米国議会図書館でこの未確認部分148面を含む207面(内169面が彩色なし)が発見されました。これを複写。修復し伊能忠敬の子孫である画家・伊能洋氏監修のもと、若手画家の手によって新たに彩色が施されて、歴史的価値の上に美術価値の高い「伊能大図」としてよみがえりました。

伊能大図展写真集
記念撮影
会場 くろしおアリーナ
↑上の写真のように記念撮影をするところもありました。

右は会場である、くろしおアリーナ。開催期間中は子供からお年寄りまで、たくさんの人が訪問して楽しんでいました。


最新の機械で測量の体験もできました。
測量体験コーナー
測量機
 
1935年製トーコー三吋半トランシット
測量体験コーナー 測量機
1935年製のYレベル(TOPCON)↑
 
最新測量機器展示コーナー
 
測量機を展示しています。
  最新測量機器展示

測量を体験
親子連れの方もいました

測量を体験
親子連れの方もいました


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