一領具足供養の碑

慶長五年関ヶ原に戦後、浦戸城明け渡しを拒んだ一領具足達は重役家臣団と対立して戦い物頭竹内惣左衛門始め二七三人が殺され、ここに長宗我部四百年の栄光の幕を閉じました。

この土地は一領具足の指導者吉川善介、徳井左亀之助、池田又兵衛、野村孫右衛門、福良助兵衛、歳岡彦兵衛、下元十兵衛、近藤五兵衛が常なる役所に集まり居て評定中を襲われて討たれた所で、首は他の者とともに大阪に送られ胴体は石丸塚としてここに葬られました。

世にこれを浦戸一揆という。




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シアターキューブリック『誰ガタメノ剣』スペシャルサイト〜信長・秀吉・家康に正面から戦いを挑んだ男、長宗我部元親〜