高知県高知市長浜 天甫山にある長宗我部元親公のお墓です。

長宗我部元親墓

長宗我部元親のお墓です。

お墓とお墓付近元親は武略家としてのほか教養もあり、文化人としても評価が高く、内政面でも立法家として「長宗我部氏掟書」の制定や優れた検地記録である「長宗我部地検帳」の作成など、数々の業績を残しています。

慶長四年(一五九九)五月十九日、伏見で病没、享年六十一、法号雪蹊恕三、火化の後遺骨は土佐に送られ、天甫寺山に葬られました。

この墓の形式を宝篋院塔といいます。

今一代の英傑の眠る静寂のこの地にあって、瞬時の光芒を放ち、やがて歴史上から消え失せた長宗我部一族を想うとき、その哀惜の念止み難いものがあります。


長宗我部元親公銅像兵士の塚

兵士の塚は、慶長五年(千六百年)十二月浦戸一揆の戦死した長宗我部氏の家臣を祀ったものと古くから伝えられてきたものです。

元は、この地から100m程の天甫寺5086池上家の畑の中に、いつの頃からか祀られてきたものであり、歴史的な文献等は確認されていないが、昔から大切に供養し、地理的にも長宗我部信親公の菩提寺であった天甫寺跡に残されてきた事実から、ゆかりのあるこの地に移転したものです。

尚、移転に際しては発掘は行わず御霊魂を供養の上、この地を新たなる墳墓の地として復元したものです。



より大きな地図で 長宗我部元親 ゆかりの地 を表示

シアターキューブリック『誰ガタメノ剣』スペシャルサイト〜信長・秀吉・家康に正面から戦いを挑んだ男、長宗我部元親〜